チャウセスク政権下でのロマ民族の整理計画

ルーマニアは1980年代半ば「ヨーロッパのエチオピア」といわれるほど一般市民も貧困の中で暮らしていました。

これはチャウシェスク独裁の結果だったと言えます。経済的・政治的窮乏化はロマ民族への援助等これまでの政策を行う余裕がなくなるまでに達したと言えます。

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ルーマニア政府が行った教育を通じた同化政策

1956年当時、ロマ民族の教育水準の低さが問題となり、ルーマニア政府は貧しい大家族のロマの子供に適切な教育が受けられるようさまざまな援助をしていました。

この時期の社会主義政権の教育政策には一定の評価をあたえる必要があると言えます。

しかし、その根源には何度も言うように社会主義イデオロギー(統制された生活)とチャウシェスクのようなルーマニア人民族主義の意識があったことを忘れてはいけません。

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ルーマニア社会主義政権時代に行われたジプシー定住化政策

ロマ民族に社会主義市民としての教えを施すという下で実施されたルーマニアの政策で、はじめに行われたのは“放浪している”ロマ民族を定住させることでした。

そのために始めて、1956年にルーマニア国内のロマ民族の本格的な統計調査がおこなわれました。

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ルーマニア社会主義政権の時代でのジプシー

第二次世界大戦後、ルーマニアは約40年間ソ連の衛星国の1つとして長い社会主義政権の時代をむかえていました。

第二次世界大戦後、間もない1947年の講和条約によると、少数民族に対する差別の禁止と教育・言語・文化の面で基本的な権利を与えるとされていました。

しかし、この時代のロマ民族に対する一連の間違った政策の根源は、平等な社会を理想に掲げる社会主義アイデンティティそのものでした。

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第二次世界大戦時のジプシー

第二次世界大戦時ヨーロッパを占領したナチスドイツによるロマ民族に対する試みは、悲惨極まるものでした。

ロマ民族の言葉であるロマニ語でポライモス(Porajmos)〜食らい尽くす、絶滅させる〜14というジプシー絶滅政策は、ヨーロッパに住む多くのロマ民族が殺されました。

その数は正確には把握することができなく、またいくつもの説があります、

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1864年ジプシー奴隷制廃止について

ルーマニアでジプシー奴隷制が廃止されたのは、1864年です。

ロシアを含め当時の西欧の自由主義思想の広がりとともに「ジプシー奴隷」を社会の不可欠な構成要素としていたワラキア・モルドヴァ両公国の封建主義体制が崩壊したことがきっかけでした。

このように西ヨーロッパ資本主義諸国の台頭という時代の流れにルーマニア社会も「旧体制の象徴」であった奴隷制を廃止したわけですが、社会の本質は何も解決されなかったと言えます。

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19世紀当時のジプシー奴隷

いかなる人間も人を所有物とすることは許されない事です。

しかし14世紀、現在のルーマニアの前身であるモルドヴァ・ワラキア公国でロマの人々に対する奴隷制が慣行され始め強制労働に従事させられていました。

この国で彼らは「動物にさえ劣る賤しい生き物」として、カラスなどと同様な扱いを受けていたと言われています。

ルーマニアにおいてロマ民族が奴隷として働かせられた背景には、モンゴル人(タタール)人の侵入という外的要因と彼らの技術による公国の経済効果の2つがあげることができるでしょう。

しかし、その根底には偏見と差別があることを忘れてはいけません。

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ロマという言葉の由来

「ロマ」という言葉の由来は、彼らの言葉で「Rom(ロム)」(一人の人間)の意味からきたものです。

ロマ民族の起源はインド北西部パンジャブ地方までさかのぼり、彼らがヨーロッパに来た時期は学者や文献によってさまざまな説がありますが、1200年代の中世ヨーロッパ社会には彼らの存在が文献にでてきているため、これより少し前に現在のアルメニア・トルコ方面からバルカン半島へとたどり着いたと推測されます。

彼らがなぜヨーロッパに来たのかについては、当時の世界情勢が深く関わっています。

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ルーマニアのロマ民族の人口について

ロマ民族は、アイルランドからウクライナ、トルコまでとヨーロッパ全域に暮らしており、全体でおよそ880万人もの数になると言われています。

ロマ民族の過半数である600万人以上が、東ヨーロッパの旧共産主義圏に居住していると言われています。

ヨーロッパ諸国の中でも一番ロマ人口が多いとされているルーマニアは、政府の公式な統計では40万人とされていますが、実際にはその数は最大250万人とも言われ、総人口の約11%占めているとも言われております。

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ルーマニア経済発展の影にあるロマ民族

ヨーロッパの東端(東欧)に位置するルーマニアは、面積237.500平方q、人口約2.190万人の国です。

地理的に東はドイツ、西はロシアに挟まれ、その歴史を見ても常に大国の影響を直接うけ翻弄され続けてきました。

ルーマニアが第二次世界大戦中はナチス・ドイツと共に枢軸国として参戦し、戦後はソ連の衛星国家として社会主義政権を成立しました。

1965年ルーマニア党書記長にニコラエ・チャウシェスクが就任。

チャウシェスクはソ連と一線を画した独自路線をうちだし、「古代ダキア帝国と偉大なるローマ帝国の末裔」を掲げ、権力を掌握していきました。

この独裁政権が崩壊するまでの30余年国民は自由のない生活を強いられてきましたが、特に影響を受けてきたのはこの国に昔から居住していたロマ民族をはじめとする国内の少数民族でした。
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